2020年  T.S.さん

 今日は、加藤大臣に私の想いを直接お伝えする機会ということで、想いをまとめて参りました。聞いていただければと思います。

 

 私は、元々は新潟県の佐渡で生まれ育ちました。実家は土産物屋を開いており、父は持病があったものの、商売はとても繁盛していました。私は長女、二つ下に妹、それから四つ離れて、1963年に弟が生まれました。初めての男の子ということで、家中大喜びで「マー坊、マー坊」と呼んでかわいがりましたが、弟は血友病でした。母方には同じ病気の人が居たようですけれども、当時のことですし、私には、詳しい事は判りませんでした。ただ、出血が起きると、弟が〝痛い、痛い〟と苦しんでいた様子は良く覚えています。

 

 佐渡には血友病の専門医は居なかったので、何かの時には、新潟市内の大きな病院へフェリーに乗って向かいました。何時間もかかります。船の中でも弟は痛がり、母は船に弱く酔ってしまうので、泣いている小学生のマー坊を私がオンブして、デッキに出て気を紛らわせようとしたことなど、今でも鮮明に記憶に残っています。

 

 マー坊とは六つ違い、しかも私は高校を卒えると東京に出て、その後、早くに結婚したので、弟の学校時代を身近には見ていませんが、休みがちながらも成績は良く、母にとっては自慢の息子でした。でも、母は、血友病という弱い子供を産んだことを、嫁ぎ先のおばあちゃんから責められたこともあったようで、弟もそれを見聞きしていたのかもしれません。私に最初の子供が生まれ、同じ血友病と判ると、むしろ弟はとても喜んでくれました。同じ病気の甥が生まれたことで、自分という存在までも認められたように感じたのかなと思います。

 

 そんなことから、弟は、私に気兼ねなく何でも話してくれました。負けん気の強い、でも、とても明るくやさしい子でした。1980年代の終り頃だったでしょうか、マー坊がHIVに感染したということも、田舎で会った時にすぐに本人から聞きました。その頃の私にとって、まだHIV、AIDSに恐ろしさの実感はなく、無理をするといけないという程度の知識しかなかったので、身体を大事にするようにと話すばかりでした。

 

 当時の弟は、フランス料理のシェフを目指していました。料理学校に通い、将来はレストラン――自分の店を開くという大きな夢を持ち、また、好きな女の子も出来て、病気のことも判った上で、結婚したいと言われるようになりました。私は、弟の体調が気がかりでしたし、家族を持って将来の生活がどうなるのかも心配でした。でも、結局弟は、料理学校に補佐役として残ってくれないかという申し出を断わり、新潟市内の店で働いて修行を始め、結婚にも踏み切りました。膝は曲がっていたけど歩けたし、肘も曲がっていたけどシェフの仕事は出来た。ニューヨークにも行きました。自分のやりたい事をやっていたと思います。

 

 そうこうするうちにも、少しずつ無理が重なったのでしょう、数年が経って体調を崩し、ちょうど店が忙しくなるクリスマスの時期、弟はフライパンを握り締めたまま倒れました。血友病の息子の関係で、地元の患者会との縁が出来ていた私は、大阪原告団第二代代表の石田吉明さん、そのお姉さんの石田久江さん、清子さんはじめ、たくさんの方に協力していただき、出来る限り弟の世話をしました。色々な医療制度や医療手当の手続きを進め、入院先の新潟の病院まで行って先生とも話し合いました。

 

 弟は末期にはとても苦しみ、激しい痛みもあったのですが、医師から勧められても、絶対にモルヒネなどを使おうとはしませんでした。明晰な頭のままで生きたいという強い意志があったのでしょう。最悪な体調の中で、横浜の国際エイズ会議に出かけたりもしていました。入院中には主治医の部屋へ行き、〝仕方なかった〟で終らせてもらっては困るとケンカのように怒鳴ったと聞きました。弟はいつも〝死にたくない。もっと生きていたい。くやしい〟という三つの言葉を口にしていました。

 

 政昭は、1995年の6月に亡くなりました。31歳の若さでした。結婚相手の彼女にも感染してしまっていて、半年後、追うように亡くなりました。HIVさえなければ、二人で暮らし、欲しがっていた子供にも恵まれ、いつの日か念願の店を持つことも出来ただろうに、と思います。

 

 おかしな言い方になるかもしれませんが、私は、亡くなった弟に対して、自分のやれる事は総てやったと思っています。それは、自己満足なのかもしれません。その意味では、私の母のほうが、遺族として消えることのない心の痛みを抱いてきたと思います。母は現在91歳、佐渡の施設で暮らしています。遺族相談員の方から尋ねられると、〝注射をしなければ息子は長生きできた。打たなくていい薬を打って殺された〟と言っていたそうです。これまで、弟が亡くなってから、母と振り返ることはあまりなかったのですが、もしもこの場に母も一緒に居たら、大臣にどんなお話をしただろうかと思います。

 

 亡くなる前、マー坊が手紙をくれたことがあります。その中には、〝生まれてきて、あまりいい事はなかった。でも、血友病の子供を産んで育てているお姉ちゃんを見たら、良かったと思う〟と書いてありました。私自身、40歳になる血友病の息子が居るので、薬というものに対しては切実な想いがあります。薬から副作用を完全になくすことは容易ではないかもしれませんが、命まで奪われる薬害は酷《むご》過ぎます。将来、私たちのような経験を強いられる人が決して現れることのないように、加藤大臣をはじめ、皆様、しっかりと自らの責任を果たして下さい。

 

 ありがとうございました。