薬害エイズの被害者は……    感染症新法の問題点と今後のあり方について

差別・偏見への取り組み

 

               感染症新法の問題点と今後のあり方について
 

大阪HIV訴訟弁護団・弁護士 加藤 高志

1.現代は「感染症の時代」だと言われています。
 自然開発が無軌道に進む一方、交通手段の飛躍的進歩によって新たな感染症が一気に世界レベルで蔓延する可能性が高まっているからです。
 現にラッサ、エボラから近時の西ナイル、新型肺炎SARSなど、昔に比べはるかに早いペースで多数の感染症が生じているように感じられます。


2.他方、我が国においては感染症に対する正確な知識を社会全体で共有し適切な医療体制・治療を用意し、感染症患者を治そうという 意識がこれまで低かったように思います。
 「感染する」という事実が過度に強調され、感染ルート、感染力等についての正確な知識を踏まえぬまま隔離が重視され、著しい差別、人権侵害が生じてきたことはハンセン・HIVの例をみても明らかでしょう。
 それゆえ、患者自身の人権を保障し、その治療を第一義としつつ、感染症の時代と言われる現在の状況に対応すべく、1998年(平成10年)10月、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(以下、感染症新法と略します)が公布され、1999年(平成11年)4月に施行された訳です。
 なお、当初法律名の中には盛り込まれていなかった「感染症の患者に対する医療」という文言を付加させたのはHIV訴訟原告団、弁護団であったと記憶しています。

 

3.しかしながら、この感染症新法にもいくつかの問題点が存しています。
同法は感染力や発症後の重篤性に応じて感染症を1類から4類に分類し、それぞれに関する対応の仕方、入院の強制の仕方や退院できる要件、就業制限等を定めていますが、それとは別に新感染症と指定感染症という概念も設けています。

 新感染症とは『人から人に伝染すると認められる疾病であって、既に知られている感染性の疾病とその病状又は治療の結果が明らかに異なるもので、当該疾病にかかった場合の病状の程度が重篤であり、かつ、当該疾病の蔓延により国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがあると認められるもの』を指し(同法6条7項)、指定感染症とは『既に知られている感染性の疾病(一類感染症、二類感染症及び三類感染症を除く。)であって、第3章から第6章までの規定の全部又は一部を準用しなければ、国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがあるものとして政令で定めるもの』をいう(同法6条6項)と規定しています。大阪HIV訴訟原告・弁護団は、これらの概念・定義が曖昧であるとして、感染力の強さを要件として挿入すべきであると要求したのですが、当時の保健医療局長が「感染力の程度は当然検討の要素となる」旨国会で答弁し、これら新しい概念を明確化することに努める旨の参議院での付帯決議がなされることで解決が図られてしまいました。
 しかし、私としては、これらだけでは依然概念が不明確であり、法律の条文により明確な定義を定めるべきであると考えています。
なによりも「国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれ」がいかなる場合を念頭に置いているのかが曖昧です。社会に生じる漠然とした不安、或いは一時的なヒステリックな反応とは異なる次元で考えなければならないのは当然ですが、そうであるなら何故条文上「感染力の強さ」がきちんと記されなかったのでしょうか。感染ルート、感染力、発症率等科学的な検証が前提になるべきであるにも拘らず、定義の中では「国民の生命及び健康」という言葉だけが前面に押し出されている気がするのです。
 悪意にとりすぎる、邪推だという意見もあるかもしれません。
 しかし、国が安易に新感染症だの、指定感染症だのとレッテルをはる危険性を法律家は常に忘れてはならないし、法律の運用面においても意識しなければならないと思います。

 

4.更に重要なことは法律だけできても仕方がないということです。法律の文言に「患者に対する医療」と言う文言は入ったけれど、紙切れ上の謳い文句にとどまってしまったというのでは意味がありません。
 ところが、今回のSARS問題でも明らかになったとおり、我が国の感染症医療体制はいまだ脆弱です。
 隔離や制約は万全だけれど、治療は不充分だ、その上社会からは差別されるということであれば、誰も自分が感染症患者であるなどとは申し出ないでしょう。

 

5.今回SARS問題が世界全体を震撼させました。
 情報公開が遅れ、感染症についての医療体制が不備であった中国が我が国に近いということもあり、我が国においても一部ヒステリックな反応をしたマスコミ等がありました。
 患者第1号を探し出すことこそがマスコミの使命であるかのように騒ぎ立て、その症状の重さをことさら強調し(確かに重篤な症状を招く病気ではあります)、犯人探しのような雰囲気がありました。
 20年近く前、神戸などで起こったHIV感染者に対する取材報道を思い出された方も少なくないと思います。実際に中国や香港からの帰国者に対して、就学、就職上の差別が生じている、との話も聞きました。
 かような時、行政が具体的な治療体制の提示や正確な知識・情報の伝達をなさず、ただ「差別は良くない」とお題目のように言ってみても、それは自らに対する免罪行為にしかなり得ません。
 もちろん「正確な知識」と言っても流動的な部分が多いでしょう。しかし累積していく患者数や死亡者数のみとりあげ、症状がよくなり「治った」方がどの程度おられるのかが殆ど報道されない現実があり、予防としてどういう対策があり得るのかを詳しく報道するマスコミも少ないように思われました。

 

6.このような状況下、SARS患者が我が国で確認された場合、国は「新感染症患者『扱い』にする方針だ」という報道がなされました。
 いまだ感染者が出ていない段階で、このような発表或いは報道がなされること自体奇異に感じられましたが、新感染症「扱い」という言葉にも違和感がありました。
 私は、新感染症概念が拡大され曖昧にされるのではないかという危惧を持ったのです。

 

7.その後、過熱した報道も落ち着き始め、新感染症指定の動きもなくなったように思います。
しかし、今般、国は、感染症新法の改正に着手したとの報道がなされるに至っています。この改正の動きが一連のSARS騒動の延長線上にあるように思われ、極めて危険なものを感じます。
 折りしも昨年(2002年)3月には厚生科学審議会感染症分科会感染症部会が「生物テロに対する厚生労働省の対応について」との副題のついた報告書を作成し、感染症に関連して危機管理意識を強化すべきとの提言をなし(いわば生物テロにおける有事の想定)、さらに「感染症法制定時においては、生物テロのような人為的な感染症の発生を想定しておらず、天然痘のように自然界に存在しないと考えられる感染症の患者発生、炭素菌の芽胞散布のような一般的な発生形態以外の患者発生は想定していなかった。現法体制においては、法の対象となっていない感染症に対する必要な措置等を行う特段の理由がある場合には、政令により対象感染症の変更、措置の追加等を行うことが可能となっており、状況を踏まえた政令制定内容の追加を行っておく必要がある。」と述べ、法律ではなく、政令によって規制をなし得る、なすべきであると述べているところです。
 仮に、その政令の基準が明確でなければ、結局法的コントロールの及ばぬ形で、行政が従前のように感染者患者の人権を制約し得ることになります。
 今回のSARS騒動をきっかけに、さらに患者に対する「治療」、「人権の保障」から抽象的な「国民全体の生命の安全」、「有事への対処」へと比重が移る可能性が高いと言わざるを得ません。
 もちろん国民全体、わが国に居住する方々全ての生命、健康を守ることは国の最大の使命であり、SARSの感染力、重篤性が極めて深刻なものであったことは私も否定しません。また、一連の経緯の中で今回国が際立ってイレギュラーな動きをしたとも思いません。
しかし、いったん感染症への漠然たる不安が社会を覆った時、容易に感染者患者の人権が侵害されることを我々は再度この場で認識し、治療体制の充実が滞りなく進んでいるか、人権制約基準が不明確ではないか、情報が適正に公開されているかを検証する努力を続けていくべきだと思うのです。

 

                        (「ネットワーク医療と人権」 ニュース・レター第5号より 2003年7月発行)​

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