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家族の声

郷里を離れた息子の看病日記

 

     10月22日 (晴れ、時々曇り)

      京都へ着て5日目、やっとぐっすり眠れた。AさんBさんから電話があった。
      互いに気を遣ってくれて嬉しい。何とか自分を落ち着かせて自分を励まし息子を励まし、毎日がどうしてこんな

     所に居るのが不思議だ。息子が元気を取り戻すまでは何とか手をかしてあげたい。
      夕べはこたつ、ふとん、毛布を買ってきた。京都へ着て初めてゆっくり休んだ。妹が、息子の服、下着、等を持

     って来てくれた。ほんとうに助かった。姉妹って素晴らしい、頼りになる。

 

     10月23日 (晴れ、時々曇り)

      あっちこっちおぼえるのに大変、何とか一通り覚えた。やっと我に返った。ペンでもとる気になる。今までどう

     して過ごしたか、夢のようで。C君、D君からも電話があつた。様子を聞き、心配してくれる。やっと私も食べる

     物に気づくようになった。
      病室にて……針を替えてやりたい。そして、パジャマも替えると息子が元気をなくしていると、私まで悲しくな

     ってくる。帰る寸前、先生がTシャツに血が……アメ玉位の物が付いていた。もう、これは使い捨てになると……。
      看護婦さんが帰り道に迷わぬようにねと言う、優しい声をかけてくれた。

 

     10月24日 (晴れ、時々曇り)

      息子に頼まれた物を持って病院に行く。少し風邪気味になり、又少し熱が上がった。下痢もある。婦長さんに会

     う。洗濯物をどうして良いかと聞く。血が付いていなかったら持って帰って、漂白剤に20~30分漬けて今までと同

     じに洗って良いと。

      食事、家具、血が付いていなかったら今までと同じと、友達とのつき合いも今までと同じ。今日は少し気分が楽

     になった。血液や精液、箸、かみそり、だけは触らないようにする。その分、気をつけたら何も今までと全く変わ

     らない生活でいいと婦長さんは言った。短い生命かもしれないが悔いのない人生を送りながらも病気と闘い苦しい

     かも知れないが頑張ってほしい。血液の中に菌が入り込んでいると言う、それが再発するかどうかわからないが、

     息子の所に武装して入るのは息子に悪い菌を入れたくない、白血球が下がっているので菌を殺す力がなくなってい

     る。

 

​               折り込みチラシの裏面に綴られた記録。

 

     10月25日 (曇り)

      その後不自由な毎日と思います。なるだけ栄養のある物、手早く出来る物を食べてください。色々思うと涙で胸

     がいっぱいになりますが私がしっかりしないと息子のお使いが出来ません。息子もそう言います。今日は少し熱が

     下がった、少し気分もいい、食事もおいしいとスプーンで食べた。
      少しずつ、京都の生活も落ち着き、顔を洗うことことから始まり、軽い食事をする持っていく物の点検、息子の

     使いが出来ないようではつまらん、部屋の植物に水をやりこれを見ていると心が和む。面会時間もたっぷり取った、

     11時から14時……。少し元気に熱も少し下がった。

 

     10月26日 (曇りのち雨)

      こちらに来て日本晴れ、一日もない。秋の真っ盛りと言うのに歩いていると菊の花が咲いている。あゝ今年、菊

     の花を沢山植えて、姉妹に花の宅配をして上げたいと楽しんでいたのが残念。屋上に上がって見ると西の方角に黄

     色になった稲田が見える田んぼがあるんだと思うと少しは、慰められる。婦長さんが柔らかい食べ物でしたら何で

     も持って来てたべさせて下さい。ほっとした。

      婦長さんから電話、明日部屋が変わりますので12時迄に来て下さいとのこと、個室だそうな。

 

     10月27日 (晴れ)

      近頃やっと私のペースになり6時半起き、食事用意。窓を開けると気持ち良い風、食後、息子のシチューを煮る。

     おいしく作ってあげたい楽しみにいているであろうね。熱が上がり気分悪そうだが部屋を変わる、4階。わあー太

     陽が見える、日が当たる、良かった。39度もあるのに本をのぞいている。身体がぞくぞくすると毛布をいただく、

     びっくり、昼食、夕食、一口か二口私のシチューを2回に食べた。夕方、便が出た、血便の様であるが、本人には

     言わない、何だか個室いやな予感する。部屋変わって落ちつかないため、私も、泊まる事にした。腰掛けにもたれ

     て、苦しい、寒いよ、痛いよと言いながらも小さい時からよく我慢したねと、打ち身すると、3ヶ月は痛かったと、

     ほんとうに我慢強い子だけに可愛そうで、ポロリ、涙、やっぱり泊まって良かった。色々あった、私も眠れず、朝

     1時間くらい寝たのかしら、ご飯を食べさせて、洗濯物を持って8時半に病院をでる。

 

     10月28日 (晴れ)

      朝、起きると夕べはどうだったろうかと息子のことばっかり、良くもならない横這い状態、治療しているのか、

     していないのか、自分にはわからないと悔しがる。苦しい、熱が下がらない。40度にならないと注射してくれない

     と、ゆっくり治さないといけない様子、長くなりそううだ。個室は風呂、便所、洗面とあるが、歩くことが出来な

     い足が立たないと言う。食べられない、悲しいね、水分だけ摂るだけに便も固まらず、気をもんでいる。落書きで

     もしたらと、ノート、ペンを持って行ったがそんな気分ではない……点滴ずめ。

 

     10月29日

      夜10時頃、京都のAさん、Bさんから家の事務所に来て話しを聞かせて下さい、今からマンションに向かえにい

     きますので家の前で待ってて下さいと電話あった。出て見ると二人づれ、Kさんでしょうか。すぐ近くなので、12

     時近くまで話しを聞いたり、色々、アドバイスをしたり今後のいき方にDrと明日会って話を進めていきましょう

     と……。

      11月2日に新薬が入ります、それが頼みの綱です。効けば、まさかと言うことにもなる、又副作用も出ると言う、

     薬を是非打ってもらいましょう。私達の行ってる病院には仲間が沢山いますので心強いと思います。まずDrに会

     う事にして話しを進めて行こうと相談になって頂き有難い思いがした。こんな知らない土地でこんな人達に会える

     こと出来ただけで私は嬉しい。時間かまわず話に夢中お陰で少しずつ勉強して知識を広めていきたいが、もう遅い

     様な気がしてならない、でももう一度元にもどして食事がしたい、思えば悲しい思い出ばかり、涙が出てくる。息

     子に見せまいとそっと瞼をおさえて知らぬ振りしている。私の手もあまりにも必要とせず頑張っている姿が可哀想

     でならぬ。私は最後まで一生懸命この子につくしたい、自分の身体をたもちながら。今24時14分、目がつむれなく

     てペンを取っている。

 

     10月31日

      気分も少し良く朝食もおかゆ5~6さじ味噌汁、全部飲み、薬飲ませて、ねまき、おむつを売店で買ってきた後

     頼んでマンションへ。京都のAさんは、お兄さんにも知らせた方が良いと言う。長男からマンションに電話あり、

     病院にもかけてみたと言う。今朝は気分がいいのであろう、今日は気分がいいからパチンコに行こうね、うん、そ

     れなら行ってくるといいわ、先生も行っても良いと……。

      にこやかな微笑みに、私はよけいにつらくなりそう。早く元気になってパチンコだの遊びだのどこへでも行こう

     と、素直なところが又可愛いい、辛い、涙が流れて目を赤くはらす、見せたくない涙、辛いね。
      気分がまあまあだ、今日は昼から絶食と言う。鮨を買って行くことになっていたので鮨屋さんで買って行った。

     お母さん、残念だ昨日だったら良かったのにと悔やんだ。
      その鮨を見せてと……早く元気になって食べるんだと言う。
      1日が長い、辛い今日はDr、Aさんから呼び出しあった。今後の事話し合う、夕方Aさんの呼び出しの所に長

     男がひょっこり立っている、びっくり、わあー、兄ちゃん、明日だったのにね、只、嬉しいのみ親子3人で2時間

     位までいて、長男の車でマンションへ泊まることにした。お互い身体を気遣い合いお茶を飲んでいっぷく、早い目

     に寝んだところに、CさんDさんから電話、父さんから電話、Cさんが見舞いに来ると言う。面会謝絶だから悪い

     が気持ちだけ、知らせておき、お世話になることと思うからその時はよろしくと電話を切った。

 

     11月1日

      朝8時30分父さんより電話、今日15時30分で来ると言う。Aさん達にも連絡をと、2日に会うことにする。早

     く決まって良かった。

 

     11月2日 (雨模様)

      急に変化して朝4時30分頃から譫言を言う、初めて看護婦さん呼んで一緒にいる様頼んだが、息子はどこも痛い

     ことないよと、息をはあはあしながらにっこりした顔で私と看護婦さんを見る。痛いとこない、苦しいとこない、

     ただそれだけ、ほんとうにあの笑顔が目に浮かぶ、可哀想に辛い顔をひとつしない立派な子、涙、涙ごめんね。

        息子、立派だ、最後まで、京都に来て良かった、皆んないい人ばっかりよ、俺の廻りの人はと、何時もそう言っ

               ていた、ほんとうによかったのだろうか。

K・Hさん 1987年歿 22歳
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