2005年  S.A.さん
​ 私は、息子を薬害エイズで亡くした母親です。三人の息子の母親で、次男と三男が血友病Aです。二人とも凝固因子量は7%あり、普通の生活ができていました。ある日、外傷による出血で病院へ……。血友病の診断がついたのは、次男9歳、三男は10歳の時です。次男はHIVは陰性だったものの、HCVに感染し、長期療養で苦しんでいました。三男は非加熱製剤の一回の注射で肝機能が急上昇して、一年間入院し治療しました。その後、数回の注射でHIV、HCVにも感染してしまいました。
 HIVの抗体検査にしても、病院によって医療格差があり、地元の病院は他の病院よりかなり遅れていて、HIV感染がわかった時はCD4の数値は7まで下がり、遠く離れた専門の病院へ紹介されました。「専門、専門と言って送ってくる。現在の医療では、どこの病院でも治療できる」と言われました。病んでいる息子や私には、とても辛い言葉でした。
 
 微熱続きで次々に襲ってくる症状と闘いながらの生活が続きましたが、病院が遠いために診察に行くにも時間と費用がかかり、通院は容易ではありませんでした。一日数回、高熱が出る状態で、いくら辛くても熱ぐらいではなかなか入院させてくれないために、不安も強く困っていました。容態が急変し、やっと入院した時には手遅れで、進行していて何をしても反応せず、のどをこさない毎日が続きました。苦しみ、体重もみるみる減り、本来の姿などどこにもなく、見るもあわれになってしまいました。
 
 そんな中、息子は妻の感染を知り、自分以上に悔しく思い、「可哀想な事をした」「妻の両親には死んでも言えへん」「目が見えなくなったら生きていてもしょうがない」「なんでこんな苦しまなあかんのや、この責任、誰が取ってくれるんや」「自分らは若いんや、これからなんや、これからいっぱいする事があるんや、死なれへんのや」と口癖のように言って耐えていました。
 
 息子は自分自身が病む中で、自分以上に妻の事を想い、心身共にぐたぐたになり、誰も判別できないほど変わり果てた姿になり、七ヵ月で亡くなってしまいました。そんな息子を見るのはとても辛かったですし、言葉や文字で言い表す事はできません。私は、嫁の両親に対しても、「どのように告げようか、話そうか」と悩み、言い出すことが出来ずに、本当に苦しみました。その嫁も数年闘病を続けましたが、入院中、洗面に行き、看護師さんとさっきまで話していたのに、数分後、突然倒れて、あっけなく一命を絶たれてしまいました。息子と嫁を亡くし、世の中にこんな悲しい事があってよいのだろうかと……。
 
 息子の七回忌が済んだ頃、私の主人の体調が悪くなり、余命半年と診断され、一年間入退院を繰り返し、検査と治療を続けましたが亡くなってしまいました。時を前後して次男もHCVの治療のため入退院を繰り返しながら、肝硬変症、肝癌で亡くなりました。このようにこれでもか、これでもかと襲ってくる中、私は仕事と看病を続けて頑張ってきました。長年にわたるストレス(本当の事を誰にも話すことが出来なかった)の蓄積が免疫低下になったのか、私も病気になり大きな手術をしました。家族、友人、知人ほか多くの方の励ましや支えでここまで回復しましたが、一進一退で挫折もあり、なかなか立ち直れません。
 
​ 現在、一人暮らしで孤独で悲しく、不安でいっぱいの毎日ですが、早くに命を亡くした家族の供養をしよう、楽しいことを作り、今を大切に生きようと思えるようになりました。私だけじゃない、このような状況を抱えた方が多く居られます。そしていつも心の中には、誰にも言えないHIVを抱えて生きているのです。未だにHIVを隠し通し、病気の事を打ち明ける事が出来ずに、辛い思いは続いています。どうか、差別偏見のない社会、薬害再発防止、真相究明を一日も早く実現できることを強く望みます。
 

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