「誓いの碑」の意義 「誓いの碑」建立までの歩み 厚生省最終案
薬害根絶「誓いの碑」
「誓いの碑」建立までの歩み
二度と悲惨な薬害を繰り返して欲しくないという思いを込めて、厚生省に、「薬害根絶の碑」の建立を要請していましたが、当初、厚生省は、頑なに、拒否していました。しかし、小泉厚生大臣は、昨年8月5日の厚生大臣協議において、「碑を建立する意義を認め、その実現を図る。」と確約しました。その後、厚生省との間において、設置場所・碑文について協議に入りました。その進行状況について報告します。
1・・1997年10月16日 設立に向けての厚生省との協議(大阪)
「薬害根絶誓いの碑建立等準備会」を結成して碑文及び設置場所について具体的に協議していくことを決定する。
東西の原告団としては、
碑文については、
設置場所については、
厚生省合同庁舎前もしくは日比谷公園内
を要請した。
2・・1997年11月4日 第1回準備会(東京)
場所、碑文の厚生省案を文書で事前に提出の上、協議の予定であったが、文書が提出されず、協議は進展しなかった。
その後、11月10日付で文書による回答があった。
その内容は、
碑文については、
設置場所については、
というものであり、私たちの要請とはかけ離れたものであり、到底受け入れられるものではなかった。
3・・1997年11月19日 第2回準備会(東京)
ここにきて、またしても碑の趣旨につき、厚生省側と原告団側との間に大きな食い違いがあることが顕在化し、内容について全く進展はなかった。
厚生省は、これは自戒のための碑であるから、職員の目にふれれば目的を達するのであって、広く社会・国民に示す必要はないと主張し、私たちは、国民に対して誓う碑であるから、広く社会・国民に示されなければ意味がないと強く反論した。
4・・1997年11月27日 第3回準備会(東京)
厚生省医薬安全局企画課長との間で、碑建立の趣旨につき長時間に渡り、協議するも進展なし。
5・・1997年12月2日 第4回準備会(大阪)
原告団側で再度、文書でもって碑建立の趣旨を示し、原告団側からの質問に対し、文章で回答するよう要請する。
12月3日付で厚生省に文書で質問状を送付し、同月5日厚生省から文書で回答があるも進展なし。
厚生省は、設置場所として
を新たに候補場所として追加してきた。これでは、全く、社会・国民に広く示すことにはならない。
同日、厚生省との協議が全く進展しないことから、厚生大臣宛ての要請書を作成し、家西衆議院議員を通じ、直接厚生大臣に手渡した。
6・・1997年12月10日 第5回準備会(東京)
準備会の前に、国会議員11名(田中眞紀子、衛藤晟一、笹川尭議員-自民、五島正規、中桐伸吾、金田誠一、石毛えい子、家西悟議員-民主、中川智子議員-社民、山本孝史議員-新進、児玉健次議員-共産)の方々に趣旨を説明し協力の要請をする。
準備会においては、碑文について下記の厚生省案が提示される。
1) 「薬害根絶誓いの碑」のタイトルが含まれていない
2) 被害実態(1800名を超える被害者を出した)が示されていない
3) 「薬害エイズ」の言葉が使われていない等の諸点において原告団案と厚生省案との間において詰まらず、全く協議が進展しなかった。準備会の後、弁護団と厚生省との間で下記の調整案を作成し、双方検討することになった。
7・・1997年12月18日 第6回準備会(東京)
12月11日に、厚生省が前記調整案では調整できないとのことで、下記の厚生省案を提示してきた。
原告団として到底受け入れられるものでないことを通告
当日、準備会にて、厚生省が下記の新たな碑文案を提示してきた。
準備会では、私たちは、「薬害エイズ」事件を厳粛に受け止めという記載については一定の評価をするも、
1)「薬害根絶誓いの碑」というタイトルの記載がない、
2)被害実態の記載がない、
3)「被害者の要請を踏まえ建立した」では厚生省の自覚がなさ過ぎる、
4)カッコ書きの部分を本文に盛り込むべきであるといった要請を出し、厚生省において再度検討するということになった。
8・・1997年12月20日
碑設置費(4,284千円)が来年度予算として内示される。
9・・1998年1月14日 第7回準備会(大阪)
下記の厚生省案が提示される。
ほとんど協議に進展がなく、次回(1998年2月12日、2時 東京)までに原告団側から再度調整案をだすことになる。
10・・1998年2月12日 第8回準備会(東京)
原告団側の再調整案について、東西で協議し、下記のとおり厚生省に提示
原告団側としては、
1)「薬害根絶誓いの碑」というタイトルを刻む、
2)被害実態を示す数字を盛り込む、
3)「反省」に基づき建立したことを明らかにする、
4)本文の中に、今回の被害が、「薬害」であることを明記する、
5)端的に「誓います」との表現にする。といったことを再度強く打ち出した。
協議は、難航し、この原告案を、厚生省が再度持ち帰り検討することになる。
11・・1998年3月11日 第9回準備会(東京)
下記のとおりの厚生省案が提示された。
厚生省側の見解は、
1)タイトルは刻まない
2)「悲惨な薬害」という表現ではなく、「医薬品による悲惨な被害」という表現を用いる、
3)「決意」を銘記するではなく、端的に、「こと」を銘記するという表現を用いることにしたが、「誓う」という表現は用いない、
4)サーベランス委員会の中間報告によれば、血液製剤による感染者の数が、従来の1800名という数から、1495名という数に変わったということで、正確な感染者数の把握は、現段階では困難であるとの理由で、「千数百名」という表現にした、
5)「反省」に基づき建立したことは明記する。といった内容であった。
設置場所とタイトルの問題は、もはや事務レベルでの交渉では調整不可能である。厚生大臣との協議において決着をつける必要がある。また、被害者数については、サーベランス委員会の最終報告(5月ころとのこと)を踏まえて、今回の調査方法が適切かどうかの検討をした上で判断していく必要がある
(ただし、この時点においても正確な被害実態を把握できない厚生省の姿勢そのものが由々しき問題である)。
2)3)の問題については、再度、厚生省側に再考を促し、厚生省側が持ち帰り検討することになった。
12・・1998年4月10日 第10回準備会(東京)
厚生省医薬品安全局長から、別紙のとおりの回答がなされた。
設置場所については、一応、厚生省合同庁舎前を提示するところとなった。しかし、碑文については、前回から進展がなかった。
特に、「薬害根絶誓いの碑」とのタイトルが入らないことから、原告団側としては、これでは受け入れられない旨を文書にて回答する。
その後、厚生大臣との直接協議の場を要請するも、実現されない。
13・・1998年6月9日 第11回準備会(東京)
厚生省から、4月10日の案が、大臣をも含めた厚生省の意見であるとのことであり、何ら進展しなかった。
当初、建てること自体について、頑なに拒んできた厚生省が、建立を確約し、碑文においても、「薬害エイズ事件」発生の反省を明記するところまで押し込んだ点、設置場所を、厚生省合同庁舎前にまで持ってきたことなど、これまでの、粘り強い交渉においてかなりの成果を挙げてきた。しかし、「薬害根絶誓いの碑」というタイトルが刻まれないこと等残された課題について、交渉が全く進展せず、現在、暗礁に乗りあげている。
原告団として、今後、この問題について何をすべきか。決断し、決着をつけるべき時期が近付いている。
14・・1998年6月18日はれ
民主党枝野議員が、質問主意書を内閣に提出
15・・1998年7月14日
内閣総理大臣から、前記質問主意書に対する回答がなされる。
「医薬品による健康被害は、いかに薬事行政が適正に実施されたとしても、医薬品本来の性質等から不可避的に生じ得るものである。したがって、碑に『薬害根絶』の文言を使用することは適当でないと考える。」
16・・1998年7月17日
前記回答に対し、東西原告団・弁護団で声明を出し、緊急記者会見を行う。
当初、建てること自体について、頑なに拒んできた厚生省が、建立を確約し、碑文においても、「薬害エイズ事件」発生の反省を明記するところまで押し込んだ点、設置場所を、厚生省合同庁舎前にまで持ってきたことなど、これまでの、粘り強い交渉においてかなりの成果を挙げてきた。しかし、「薬害根絶誓いの碑」というタイトルが刻まれないこと等残された課題について、政府は、明確に拒絶の意思を示した。我々は、この局面を打開するために、再度、総力を結集をし、決着をつけねばならない。
17・・1998年11月6日 厚生大臣協議
碑を建立するのは当然のことであって、小泉前厚生大臣の意向を引継ぎ、建立する旨あきらかにした。さらに、碑建立の趣旨については、厚生省職員の自戒に資するとともに、今後薬害を起こしてはいけないということを国として示すものであるとの認識を示した。そして、「薬害根絶誓いの碑」というタイトルを刻むことについては、「薬害根絶」という文言について、厚生省内部の現実的な意見にも耳を傾けざるを得ないとしつつ、原告団と厚生省事務局との間において、もう少し十分な協議を重ねた上で、厚生大臣としても、最終段階で原告団と協議し、厚生大臣の責任において判断したい旨示した。
18・・1998年12月8日 第12回準備会(東京)
中断していた碑の協議が再開される。
タイトル、碑文いずれも全く進展なし。
19・・1999年1月8日 第13回準備会(東京)
20・・事前に、両原告団において協議し、タイトルとして「誓いの碑」であれば了解する旨を伝える。
1999年2月10日 第14回準備会
厚生省から、碑文について厚生省案で了解してもらえるのであれば、タイトルについて協議したい旨の申し入れがなされた。しかし、前回、原告団において提示している「誓いの碑」については、厚生省内において合意を得ることが困難であるとのことである。
21・・1999年3月26日 非公式協議厚生省から、「誓いの碑」で内部合意が可能であるとの申し入れがなされる。
22・・1999年4月23日 第15回準備会
形状、材質、建立までの手続きについての協議
-
1999年5月18日 第16回準備会
23・・形状、材質、碑文の配置等について合意。台座の安定性と周辺整備について確認。
除幕式までのスケジュールの説明を受けて確認→次週に大臣の了解をとる→関係省庁スモン他団体の調整→合意のサインをする。(6月の早い時期)→マスコミ発表→業者決定・発注。
原告団は除幕式の後、記者会見をする。
24・・1999年6月9日
「碑の建立に関する合意事項」の文書確認。厚生省医薬安全局長、両原告団代表によるサイン。
25・・1999年7月8日 第17回準備会
「碑」設置場所の整備、碑文タイトル等について協議。
除幕式について(厚生省主催)
碑前で除幕のセレモニーをする。
厚生省2階の室内で竣工式をする。
被告企業5社にも出席要請をする。(被告企業5社;薬害エイズの原因となった非加熱濃縮血液製剤を製造・輸入・販売していた製薬会社5社のこと;ミドリ十字「現・田辺三菱製薬」、バイエル、バクスター、日本臓器、化学研)
☆ 両原告団は準備会の前後に協議。除幕式当日夜に原告団主催の報告集会を行う。
☆ 両原告団・弁護団と支援団体で建立報告集会実行委員会を組織して取り組む。
26・・1999年7月21日 薬害根絶「誓いの碑」建立報告集会実行委員会
報告集会の取り組みと準備について→8月24日(除幕式と同日)18:00~20:00
東京弁護士会館2階「クレオホール」にて開催。プログラム他検討。
実行委員会開催予定―7月28日、8月10日、8月20日
資料:呼びかけ文(2枚4ページ)
2 薬害根絶「誓いの碑」除幕式、竣工式、建立報告集会に参加される方へ
27・・1999年8月24日
(1)「誓いの碑」除幕式 14:20 厚生省主催
(2)「誓いの碑」竣工式 式次第
「碑」の写真
(3)薬害根絶「誓いの碑」建立報告集会
~薬害根絶に向けて~
18:00~20:00 東京弁護士会館クレオホールにて
① プログラム
③ 原告団宣言
28・・2000年5月23日の厚生省との協議の際、厚生省として、この碑の活用について、次のような報告があった。
① 医薬品安全局の新任・再任の職員に対し、「誓いの碑」の建立の意義と内容について、毎年研修する。
② 今年度の厚生白書に「誓いの碑」の意義と内容について掲載する。
③ 厚生省のホームページに「誓いの碑」の紹介を掲載することを検討中。
今後とも、より一層の活用を厚生省に要請していくとともに、私たちも、この碑の存在を、広く社会一般に知ってもらうような活動が必要である。
29・・第1回8.24薬害根絶デー実行委員会 2000年7月1日 (37参照)
7月31日、8月23日にも実行委員会を開催 実行委員21名
第1回薬害根絶デー 2000年8月24日(木)
厚生労働省前庭の薬害根絶「誓いの碑」の前で、薬害ヤコブ病の全面解決を求め
ヤコブ原告、他の薬害被害者、国会議員らのリレートークを中心に実施。アピー
ルの提案と採択。
30・・第2回薬害根絶デー 2001年8月24日(金)
厚生労働大臣宛の要望書を 局長に手渡した。係争中のヤコブ原告団の要望書もあわせて手渡した。
リレートーク、厚生労働省交渉、文部科学省交渉は以後毎年実施。(以降省略。詳細は薬害根絶デーの項を参照)
31・・第3回薬害根絶デー 2002年8月24日(土)
厚生労働大臣宛の要望書を 官房に手渡した。あわせて昨年に続いてヤコブ原告団の要望書も手渡した。
32・・第4回薬害根絶デー 2003年8月22日(金)
「誓いの碑」前の集会で、坂口厚生労働大臣に要望書を手渡した。あわせて薬害肝炎訴訟原告団の要望書を手渡した。
●「誓いの碑」前の集会への厚生労働大臣の出席は初めて。
33・・第5回薬害根絶デー 2004年8月24日(火)
「誓いの碑」前の集会で、坂口厚生労働大臣に要望書を手渡した。あわせて係争中のMMR原告団の要望書も手渡した。
34・・第6回薬害根絶デー 2005年8月24日(水)
「誓いの碑」前の集会で、尾辻厚生労働大臣に要望書を手渡した。あわせて係争中のイレッサと薬害肝炎原告団の要望書を手渡した。
35・・第7回薬害根絶デー 2006年8月24日(木)
「誓いの碑」前の集会で、川崎厚生労働大臣に要望書を手渡した。薬害肝炎原告団の要望書も手渡した。
36・・第8回薬害根絶デー 2007年8月24日(金)
「誓いの碑」前の集会で、柳沢厚生労働大臣に要望書を手渡した。あわせて、薬害肝炎原告団の要望書も手渡した。リレートークはおもに薬害肝炎、薬害イレッサ、タミフル被害。
37・・薬害根絶のシンボルに
大阪・東京HIV訴訟原告団は、薬害根絶「誓いの碑」が建立された8月24日を「薬害根絶デー」と定めた。その後、全国薬害被害者団体連絡協議会(1999年9月設立)の主催で「薬害根絶デー」が毎年開催されている。(上記29~36)
「ヤコブ」「C型肝炎」などその年の課題を中心に厚生労働省前で現状を訴えるリレートークをした後、「誓いの碑」の前で要望書を厚生労働省に手渡すセレモニーを行っており、2003年第4回薬害根絶デーからは厚生労働大臣の出席を得て行っている。
当日は、午前中に文部科学省交渉を行い、「誓いの碑」前のセレモニーをはさんで午後は厚生労働省交渉も取り組んでいる。日を改めて薬被連主催で「薬害フォーラム」が開催され、市民の方たちと共に薬害根絶を願っての取り組みを続けている。(詳細は資料参照)
私たちの願いからできた「誓いの碑」は、薬害根絶のシンボルとなり、その精神は現在も受け継がれている。国や製薬企業が一人ひとりの命を大切にしているか、患者の人権を尊重しているかなど、絶えず厳しい監視をすることが私たち国民の大切な役割である。
薬害根絶誓いの碑
1800名を越える被害者を出した薬害エイズ
ひとりひとりの命の重さ(尊さ)大切さを心に刻み
二度とこのような悲惨な薬害を起さないことを誓います。
厚生省(厚生大臣)
<表面>
医薬品の安全性・有効性を確保し国民の生命・健康を守るべき重大な責務を果たしていくため最善の努力を重ねていきます。
<裏面>
この碑は、サリドマイド、スモン、HIV被害のような悲惨な被害を再び発生させることのないよう、その教訓を薬事行政に生かし続けるとの趣旨から建立されました。
平成 年 月 厚生省
国立医薬品食品衛生研究所(世田谷区上用賀)
厚生省医薬安全局長室内
<表面>
医薬品の安全性・有効性を確保し国民の生命・健康を守るべき重大な責務を果たしていくため最善の努力を重ねていきます。
<裏面>
この碑は、サリドマイド、スモン、HIV被害のような悲惨な被害を再び発生させることのないよう、その教訓を薬事行政に生かし続けるとの趣旨から建立されました。
平成 年 月 厚生省
命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていく決意をここに改めて銘記する
平成 年 月 厚生省
この碑は「薬害エイズ」事件を厳粛に受け止め数多くの被害者の方々からの要請を踏まえて建立したものである
命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていく決意をここに改めて銘記する
平成 年 月 厚生省
この碑は「薬害エイズ」事件を厳粛に受け止め数多くの被害者の方々からの要請を踏まえて建立したものである
1800名もの被害者を出した薬害エイズ
命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう医薬品の安全性の確保に最善の努力を重ねていく決意をここに改めて銘記する
平成 年 月 厚生省
1800名もの被害者を出した薬害エイズ
命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう医薬品の安全性の確保に最善の努力を重ねていく決意をここに改めて銘記する
平成 年 月 厚生省
命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていく決意をここに改めて銘記する
平成 年 月 厚生省
この碑は「薬害エイズ」被害者の会からの要請を踏まえ建立したものである
命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていく決意をここに改めて銘記する
平成 年 月 厚生省
この碑は「薬害エイズ」被害者の会からの要請を踏まえ建立したものである
命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていく決意をここに改めて銘記する
平成 年 月 厚生省
この碑は「薬害エイズ」事件を厳粛に受け止め数多くの被害者の方々からの要請を踏まえて建立したものである
命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていく決意をここに改めて銘記する
平成 年 月 厚生省
この碑は「薬害エイズ」事件を厳粛に受け止め数多くの被害者の方々からの要請を踏まえて建立したものである
命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていく決意をここに改めて銘記する
平成 年 月 厚生省
この碑は「薬害エイズ」事件を厳粛に受け止め数多くの被害者の方々からの要請を踏まえて建立したものである
命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていく決意をここに改めて銘記する
この碑は「薬害エイズ」事件の数多くの被害者の思いを厳粛に受けとめ建立したものである。
平成 年 月 厚生省
命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていく決意をここに改めて銘記する
この碑は「薬害エイズ」事件の数多くの被害者の思いを厳粛に受けとめ建立したものである。
平成 年 月 厚生省
薬害根絶誓いの碑
この碑は、1800名ともいわれる被害者を出した「薬害エイズ」事件の反省に基づいて建立した。
命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染被害のような悲惨な薬害を再び発生させることのないよう医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていくことを誓います。
平成 年 月 厚生省
薬害根絶誓いの碑
この碑は、1800名ともいわれる被害者を出した「薬害エイズ」事件の反省に基づいて建立した。
命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染被害のような悲惨な薬害を再び発生させることのないよう医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていくことを誓います。
平成 年 月 厚生省
命の尊さを心に刻みサリドマイド、スモン、HIV感染のような医薬品による悲惨な被害を再び発生させることのないよう医薬品の安全性・有効性の確保に最善の努力を重ねていくことをここに銘記する
千数百名もの感染者を出した「薬害エイズ」事件
このような事件の発生を反省しこの碑を建立した
平成 年 月 厚生省