患者の声

S・Tさんの手記(1990年)

 

 名前も住所も年齢も、明らかには出来ないが、これから書くことは真実であり、私の偽ざる気持ちであり、考え

でもある。

 

 平成2年某月、全身の倦怠感で立っているのもやっとの状態で近所の病院に自分で車を運転して行った。

 

 このX病院は、私が二十数年来のかかりつけの病院である。診察の結果極度の貧血と診断されそのまま入院と決

まった。輸血と点滴による治療で状態は回復に向かったが、私には血友病がある為、体のどこからか出血している

のではないかといろいろな検査が行われ、 十日余りが過ぎたある日、S病院に診察室に来るようにと呼ばれて、貴

方はHIV感染だから、大学病院で詳しく検査をするように、と言われた。このS医師には入院中の十日余りに、

一度も回診を受けた憶えはない。

 

 私には、15年~16年前からこの病院ばかりで血友病治療の血液製剤を使っていたから、HIV感染は覚悟してい

たし、発病して手遅れで命を落とす結果になっても悔いなしと、常日頃思って生活もしてきた、そう考えるのもこ

の病院はまだ一般的には、汚い病気、ホモがかかる病気.空気感染でもするかのように受け取られているから、も

し私が感染者だと噂にでもなれば、狭い保守的町、噂は真実では伝わらず、曲がって伝わるものだ。 

 

 悪いことに我々血友病患者は、体に何らかの障害を持っているため、独身生活を余儀なくされている者が多数で

はないかと思う。御多分にもれず、私も一人暮らしである。噂にでもなればと思うと命の恐怖より噂になって、こ

の町で暮らせなくなる恐怖の方が重かった。

 

 したがって、この問題をマスコミが騒ぎ出して4~5年になるが、X病院側が、この問題に触れてくれない事を

感謝していた。それを、いきなりの告知である、私は覚悟はしていた積もりでも、頭に血が登り、口から出た言葉

は、『命はとうに諦めている、看護婦に箝口令でも出しておけ』の一言を言って席を立った。……

 

 翌日、又、呼ばれて、大学病院行きを勧められた。

 

 私はしぶしぶ承諾せざるをえなかった。 某月某日、大学病院の個室に入れられ、検査が始まった。私なりにいろ

いろな事を考え悩んだ。X病院での告知は病院側の厚意だと思った。

 

 しかし、厚意なら、二十数年来の病院と患者の関係ではないか、私は感謝も信頼もしていた、ましてや、例の薬

は、この病院ばかりで使ったもの。事前に、一言相談があるものと思ってもいたし、そうあって、しかるべきでは

ないだろうか……。

 

 そんな思いの中から、S医師や病院に不信感が沸き守秘義務が守られないのでは考え出すと、言うに、言われぬ、

恐怖に襲われて、気も狂わんばかりであった。 もう、町内では噂が立っているのではないか、そんな恐れと、自分

の命は……発病して、どんな醜い姿に……二重、三重の恐怖で私の心は歪み、ひねくれ、自分で自分の考えが、解

らなくなる毎日、毎夜だった。 某日、大学病院を開き直った気持ちで退院し、X病院に帰り、S医師にあった。

十日間、思い考えていた言葉の半分も言えなかった。今からもこの病院では世話になると思うと、そんな自分が情

けなかった……。

 

 別れ際にS医師が『希望を持って治療に当たりましょう』と言った。その時、私は心の内で『ふん、俺に希望と

か明日とかの言葉があるものか』と呟いていた。

 

 そんな歪んだ心で、又、X病院での、入院生活が始まった。

 

 S医師と私の医者と患者の信頼関係は崩れていた、表面は、平静を装っても、私は、事あるごとに、反発し体に

は良くない行動をとった。 どうせ醜い姿になって死ぬなら、早く死んじまえ、の気持ちである。そんな荒んだ日々

である。何も知らない、知人に会うと、普通に振る舞い、夜一人になると、不安で寝れぬ毎日なのだ。

 

 まるで自分は二重人格ではと錯覚するほどだった。そんな入院生活でも心救われるのは、このX病院の看護婦さ

んは、私が感染者だと分かっても、普通に接して来られる、心から感謝している。

 

 しかし私の口から出る言葉は裏腹に開き直った言葉しか出て来なかった。

 

 そんな自分をどうする事も出来ない、もう素直な気持ちには、なれないだろう。

 

 今後、後に続く同じ病の者が私の様な、思いはしてはならない又、私の様なケースは絶対にあってはならないと

思う。

 

 医者には医者の立場も考えもあろうが、我々血友病患者は、病ゆえに、四肢関節に何らかの障害を持って懸命に

生きてきた。そこまでは運命と諦めもしようが、しかし今度のエイズ問題では、悩み苦しみ、心はずたずたなのだ。

 

 どうか医者側はその辺の心情を考慮されて対処されて下さい。

 

 我々も個々の判断、もしくは医者の説得でその時と思えば白黒はつける。

 

 決して永久に避けて通ろうとは思ってはいない、時期が来ればと思っている者が多数ではないかと思います。

 

 この様な考えは私が一人者だからゆえの間違った考えかもしれない。

 

 妻子ある者は又違った考えの者あろう……。

 

 私は重い発病が、感染の件が万が一病院外に漏れて人の噂や中傷で自分の生活に影響が及ぶ事は、絶対にゆるさ

ないだろう……。

 

 幸い今のところは大丈夫であるが、いつかはと思うと焦燥感を防ぐことの出来ぬ毎日である。現在同病で苦しん

でいる人達、後に続くであろう同病の人達がこんな思いをしなくてよい環境が確立されんことを心から祈る。

 

 その為には厚生省の対応策ならびに救済処置が、一日も早く施されん事を祈る毎日である。

 

 書き終え読み返し新たな涙は悲しみの涙か怒りの涙か?

1994年歿 48歳

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