


遺族の声
メモリアルキルトとは
メモリアルキルトは、愛する人をHIV感染症/AIDSで亡くした家族や友人たちの手によって、 その人への思いを、生きた証を記録しようと生まれたものです。90cm✕180cmと人が横たわれる大きさの布に、 亡くなった人の愛用していた品々などが縫いつけられ、メッセージも思い思いに綴られています。 差別と偏見により人一倍のつらさや苦しみを背負った短い人生……その中で一生懸命生きた事をキルトはそっと語りかけます。
石田吉明さんのキルト
私達のキルトとの出会いは、弟(吉明)と当時のメモリアル・キルト・ジャパン(MQJ)代表だった斎藤 洋さん(染色家)との出会いから始まります。自分の大切な人をエイズで失った人たちが、その人を偲んで、一枚のキルトを作る。そうしてその人たちが確かに生きていたという証しを、作っていく。キルトのサイズは90×180センチというきまり以外は自由で、亡くなった夫、妻、恋人、母、父、息子、兄弟、娘、友達のお気に入りだった服を縫い付けたり、写真を貼ったり、メッセージを縫い付けたりしていく。こうして世界中でたった一枚しかないキルトができあがります。
日本で最初のキルト展が京都で開かれました。メモリアル・キルト・ジャパンが1991年の春 the names project から借りた192人のキルトと、日本で作られたキルトが会場に展示されたのです。一枚一枚いっしょに見て歩く。エイズについて話せる時間がそこに出来る。
弟は感動したのでしょう、私達に、お店を閉めて見にこいと車で迎えにきました。京都会館の会場の床一面に展示されていました。私達も感動と驚きでした。その後、ワシントンDCでのキルトとの出会いです。弟の生存中、一緒にキャンドルパレードに行く予定でしたが、体調が悪くなり、はたせなかったのです。弟亡き後、数年経って、約束を果たすことが叶えられました。
国会議事堂前からモニュメントまでの公園には世界からのキルトが敷き詰められ、そこには親のキルトなのか、赤ちゃんが座っていました。夜には、大通りを無数の灯が揺らいでの行進でした。様々な方達のキャンドルへの思いが、胸に迫ってきたのを忘れることができませんでした。
弟亡き後、私達は、弟の写真展を巡回していました。ある遺族の方から、キルトを作られたらと誘いがあり、亡くなってから10年目にキルト作りがはじまりました。
顔写真を入れること、弟の文言を入れること、夏の夜空に輝く花火を入れること。多くの方達と語り会いながら、針を進めていきました。「病者が病者でいられる社会」の字体は斎藤さんが書いてくださいました。キルト達の仲間に入り、語り会うことができました。MQJの方達の訴訟支援活動等、多くの方達に助けていただきました。今も、この活動によって、生き、闘った人たちの命の記録とし、語りかけ、繋いでおられます。感謝の気持ちでいっぱいです。
石田清子
病者が病者でいられる社会
程度の差はあっても、人の心のなかには、自分を他人と比べてみたい気持ちはあると思う。HIV感染症は、
そうした一人の心の深部をノックしていくセンサーだ。全身を覆っていた血友病が、肩にとまっている程度
まで縮小したように、HIV感染症も病気を意識しないですむ日が必ずくると思う。そんな、病者が病者とし
て生きられる社会を、みんなで創っていきたい。
石田吉明
