1994年歿 15

​キルト1

――「HAPPY DAYS」キルト――


 このキルトは、15歳で亡くなった息子のために、彼の面倒を見て下さった看護婦さんたちの手によって作られたものです。
 看護婦さんたちがそれぞれ〝息子の好きだったもの〟をテーマにしてパーツを作り、それを土台布の上に縫いとめました。
 彼の人となりがにじみでるあたたかいキルトになったのがうれしくて、「HAPPY DAYS」キルトと名づけました。
 ずい分逆説的なネーミングですが……。
 息子の命を奪ったものに対する怒り、悲しみは消えないし、また、消すべきでもないと思いますが、それを声高に叫ぶことができない私たちは、さまざまな想いをキルトという一枚の布に託しています。それを見て下さる方々に感じとっていただければ幸いです。

――猫好きR君の母より――

 一昨年夏、近畿地方のある病院で十五歳のエイズの少年が亡くなった。三歳でHIV(エイズ・ウイルス)に感染。幼少期に感染した影響による成長障害で、中学生になっても身長は百四十センチ足らず。発症前に二十八キロだった体重は亡くなる時、十六キロにまで落ち込み、赤ちゃん用のオムツがちょうど使えた。
 母親(45)は「成長障害で体だけでなく知的にも遅れていた。だからエイズのことは最期まで言わなかった」と言う。昨年、東京HIV訴訟原告の川田龍平さん(20)をテレビでみて心底びっくりした。息子と歳の変わらない少年が、き然と国、製薬会社に闘い挑んでいる。「うちの子はいじめられてよく学校を休んだ。何度も入院したが、友達がお見舞いに来たことなどない。非加熱製剤で感染させられた不条理を怒り、葛藤する能力さえ奪われて、ただ運命に翻ろうされて死んでいった」。テレビとマンガが大好きだった少年は、エイズ脳症を発症した死の間際、ベッドの上で怪獣になり、「ガオーッ、ガオーッ」と吠えていた。
 親兄弟にもエイズのことを秘密にしていた両親は、息子が亡くなるまで訴訟に関わらず血友病友の会に入ることさえせず、息をひそめて生きてきた。昨春、大阪HIV訴訟の原告になり、不自由な体で東奔西走する原告らに初めて接した。母親はエイズカウンセリングの勉強をしようかと思い始めている。「息子の死因についてはこれからも隠し続けるでしょう。でも私の中でまで、息子の存在を否定はしたくないから」。
 
(『毎日新聞』1996年3月)

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