


博数さんの部屋
1995年歿 30歳


私には、三人の男の子が居りました。三人とも血友病で、長男・龍海は2001年に39歳、次男・博数は1995年に30歳、三男・富彰は1991年に25歳で亡くなりました。薬害エイズの被害者は数多く存在しますけれども、私のように三人の息子を失った遺族は滅多にないものと思います。
息子たちは、はじめは血友病とは判りませんでした。あちこちの病院に連れて行くうち、ある小さな病院の先生が、「もしかしたら血友病かもしれない」と、大学病院に紹介状を書いてくれました。検査をして、三人とも血友病と判りました。地元の友の会に入り、私は、二代目の会長になって活動しました。若くて馬力があったので、署名を集め、県議会への請願が通り、医療費の無料化も実現しました。でも、私が頑張って使えるようにした薬のせいで、三人の息子たちは亡くなりました。
息子たちについては辛い記憶ばかりですが、家から出ていなかったので一番身近に過ごした次男のことが思い出されます。最後は、大学病院に一年ほど入院していました。私は得度しており、近所の寺の手伝いをしていましたが、仏像が好きで、大きな写真集を買って、見よう見まねで木彫りをやっていました。次男も三ヵ月ばかりかけて、高さ20センチほどのヒノキ生地の仏像を彫り上げました。亡くなる一ヵ月前くらいに完成しました。私は嬉しかった。
次男が亡くなり、私は一年ほどは何も考えることが出来ませんでした。でも、〝そうか、子供は亡くなったけど、俺は、会員の患者さんをどうにかしてあげないといけないんだ〟と考えて立ち直りました。当時の世間は、血友病=エイズという感じでした。ですから、血友病ということ自体、表に出せませんでした。そういう会員のために、何とか力になって盛り上げなければと思いました。どんな状況になっても、血友病を忘れることは出来ませんでした。
次男の彫った仏像は、今でも自宅の祭壇に祭ってあります。